ひと昔前の女子バドミントンにおいて、潮田玲子は多くの人に認知される選手となっていましたが、2026年現在何をしているかご存知の方はいますか?そこでこの記事では、潮田玲子のバドミントン歴を紹介すると共に、現在は何をしているのかを紹介しています。結婚したとの情報もあるので、久しぶりに潮田玲子の名前を見た人もぜひこの記事をご覧になってください。
潮田玲子が歩んだバドミントンの歴史
潮田玲子が初めてバドミントンラケットを握ったのは3歳の頃で、母の影響もありました。そして潮田玲子は6歳になると友人の影響で京都バドミントンクラブに所属することになります。このクラブは2026年現在も活動しており、例年卒業生が講演会や練習サポートに訪れたりしています。潮田玲子も2018年に講演会をしているので、今後また開催されるかもしれませんね。そんなバドミントンクラブで厳しい練習を積み重ねた結果、12歳のときに出場した全国小学生大会女子シングルスで3位入賞を果たしています。この大会がどのくらい凄いのかというと、歴代の有名バドミントン選手が入賞している大会として知られているほどです。その中には世界ランキング1位になったことのある選手もいるので、小学生ながら潮田玲子の才能が分かる経歴と言えますね。
中学生からのバドミントン生活
苅田町立新津中学校に入学してからの潮田玲子は、バドミントン部に入部し1年生と2年生のころには目立った記録を残せなかったものの、3年生ではついに全国中学生大会女子シングルスで優勝しています。この記録は潮田玲子が初めて獲得した全国タイトルとなり、後のバドミントン生活に大きな影響を及ぼします。その始まりとも言えるのがスポーツ推薦による九州国際大学付属高等学校入学です。専用の体育館を使ってバドミントンの練習に力を入れている学校として有名で、月曜日以外はほぼ毎日練習をしています。
そんな密度の濃い練習の影響もあり、入学後すぐにインターハイ女子団体に選抜され優勝の原動力になっています。さらに2年生になると第19回全日本ジュニアバドミントン選手権大会女子シングルス優勝、3年生でオランダジュニアとドイツジュニアで準優勝し、とても高校生とは思えない経歴を残しています。
オグシオの始まり
潮田玲子が初めて小椋久美子とバドミントンでコンビを組んだのは、アジアジュニア選手権の強化合宿です。この時は公式にオグシオとして活動していたわけではありませんでしたが、2人が高校を卒業して2002年三洋電機に入社すると公式に活動するようになります。しかし、結成初期のオグシオはそれほど目立った記録を残せておらず、初のアテネ五輪出場を目指したときも盲腸と足の骨折で満足に練習に参加できませんでした。しかし、2004年に出場した全日本総合バドミントン選手権大会でダブルス優勝を飾ると、メディアにも注目されるようになります。
オグシオが躍動した時期
オグシオの名前が知れ渡ると、2人のルックスに注目した企業がスポンサーになりたいと声を掛けたり、テレビ出演などの話も来るようになりました。そして2005年周囲の期待を背負いながらデンマークオープン選手権に参加し、オグシオとして初の優勝を記録します。さらにアジア選手権女子ダブルスでは準優勝と徐々に目立った記録を残せるようになってきた時期でした。そしてテレビ放送でもオグシオが取り上げられるようになると、実際に会場へ足を運ぶファンも多くなり、国別対抗世界選手権のユーバー杯では観客席が全て埋まる快挙も達成しています。
メダル獲得が近くなってきたオグシオ
オグシオが誕生する前の女子バドミントンはメダルから遠ざかっていましたが、メキメキと実力を付けたオグシオは世界選手権で日本では4年ぶりの銅メダルを獲得しました。しかも、敗れたのは連覇を達成した中国チームで、世間ではオグシオが世界レベルのプレイヤーになっているとの認識が広まりました。そして2007年さらにファンを驚かせたのは、オグシオ公式写真集ROADTOBEIJINGが発売されたことです。競技している姿だけでなくオフショットも収録されている写真集で、各種販売ランキングにも名を連ねるほど多くのファンが購入した写真集として有名になりました。同時に三洋電機の広告塔になることも決定したので、女子バドミントン界の経済事情も潤い、オグシオのような選手になることを目指す子供も現れています。
運命の2008年とは
2008年はオグシオにとって試練の年と言える時期だったかもしれません。念願のオリンピック出場の夢を2人で叶えたものの、5位入賞という辛い結果に終わっています。負傷していたとはいえ、悔しい結果になったオグシオに次はメダルを期待していると多くのファンから声が掛かりますが、結果はコンビ解散です。コンビ解散の要因になったのは2人の熱量に違いが出たからで、この時期の潮田玲子は大会はおろかバドミントンに対する熱量が下がっているようにも思えました。そんな気持ちを察した小椋久美子は、自ら解散の話を持ちかけたとメディアに応えています。
オグシオ解散から引退までの活動について
オグシオを解散してからの潮田玲子は、2009年から男女混合ダブルスでメダル獲得を目指すことを発表します。一方団体戦では女子チームに所属するなど、選手生活の幅を広げると同時に長く所属していた三洋電機の社員契約を終了させ、2010年に日本ユニシスに移籍しています。そしてついに2012年潮田玲子は二度目のオリンピックへの切符を手にしますが、ベスト8入りも叶わず後に引退を宣言しています。
潮田玲子の現在の仕事と結婚相手
潮田玲子は2012年7月に引退を宣言してから2か月後にサッカー選手の増嶋竜也との結婚を発表しています。増嶋竜也は結婚当時柏レイソルに所属しており、怪我に悩まされる時期もありましたが、2012年にはJ1優勝を達成しています。その後2020年まで選手生活を続けていましたが、移籍先の目途が立たず引退を宣言し、2023年からはSHIBUYACITYFCの監督に就任しています。そんな夫をサポートしながら潮田玲子は、2025年に日本バドミントン協会の理事とアスリート委員長に就任し現在に至ります。
潮田玲子に子供はいるの?
潮田玲子はバドミントン選手引退3年後に長男の出産を発表しています。その後2017年には長女を出産し、2026年現在は長男が10歳長女が8歳に成長し、公式SNSには美男美女ファミリーの家族写真が公開されています。写真を見た感じ長男はお父さんに似ており、長女は潮田玲子に似ているように思えました。特に長女の目元は潮田玲子にそっくりなので、大人になればさらに潮田玲子そっくりの美人になるのではないでしょうか。
まとめ
潮田玲子は3歳からバドミントンラケットを握り、小学6年生になると才能を発揮して数々の大会で好成績を収めています。特にオグシオコンビ結成以降の記録は目覚ましく、オリンピックでメダルこそ獲得はできませんでしたが、世界選手権では見事メダルを獲得しています。当時は女子バドミントン界に暗い影が落ちているような状況だったので、この活躍は今の明るいバドミントン界にするための原動力になったことは確実です。そんな潮田玲子ですが、現在は結婚して2人の子宝に恵まれ、日本バドミントン協会の理事として後世の選手育成をサポートしています。














